藤本由香里さんとか中島梓さんとか。

http://d.hatena.ne.jp/nogamin/20061106/1162820540
もともと大塚英志さんの史観へのDisから始まっているということも含めて、一連のエントリは読んでいてちょっと歪んだものを感じてしまいました。「これまで少女マンガ論は男性の論者を主にして本来の読者たちの読み方からは大きくズレたまとめ方をされてきた」みたいな、ちょっと懐かしいフェミニズム論者の香りというか、軽い被害妄想っぽいというか、「研究」をされる際には問題になりそうな思い込みを読み取ってしまうのは、僕の目が何かの影響で曇っているからでしょうか。
例えば、女性の側から、「私の居場所はどこにあるの?」=「生きている限り逃れられそうにない承認欲求とどうやって付き合っていけばいいのか?」という問題意識について思考し続けてきたものとして少女マンガを捉えて、その変遷を一本の流れとしてまとめられた藤本由香里さんの一連の仕事(担当編集として関わった中島梓さんの著作も含めて)を、この方はどう受け止めておられるんだろうか? ちょっと気になります。

  • 誤解を招きそうなので追記。藤本さんへの言及はリンク先にちゃんとあるんですが、僕は不十分だと思うのですよ。特に「(「承認欲求」by宮台)「かわいい私」(by大塚)「かわいいを媒介として実現される少女としての私」(by大塚))」この切り取り方はちょっとなくない?と。どうしてここに藤本さんをいれないんだろう……。

禁をやぶってしまった。

圧倒的な肯定の言葉だけを書きつづけるブログにしようと思っていたのに禁をやぶってしまいました。
僕の中の他人と関わりたいという欲望、何かを表現したつもりになりたいという欲望のなんと根深いことだろう。恥ずかしい。沈思黙考を何十年と行いほんの少しだけ文章を発表する。そんなあり方に憧れるのにどうしてできないのか。孤立が怖いからだ。孤独が怖いからだ。沈黙が怖いからだ。「非モテ」とひとこと書けば誰かが読んでくれる。はてなはそんな優しい空間で、そこに僕は甘えようとしている。心の奥深くでは甘えたくないと思っているのに、表面の部分がそれを許してくれない。情けない。
非コミュになるには勇気が足りない、非モテでいるには知性が足りない、モテになるには自分が嫌いすぎる。でもどこかナルシシスト。溜息が出る。ふぅ。